調布市 ・狛江市田中りかピアノ教室 講師紹介

【物おじしない幼少期】

 埼玉県出身

父は会社員

母は専業主婦

幼稚園でエレクトーンに出会う。

明るく、元気でエレクトーンも言われた事はすぐできたタイプ

 

【大人しめな小学校時代】

東京から埼玉県の志木市に引っ越す。

ピアノ教室に通うがつく先生つく先生辞める方ばかり。

落ち着いた時は高学年だった。

通っていた小学校のクラスが荒れていた事で、私立受験を目指す。

知人の紹介で東邦音楽中学校を知り

「なんか カッコいい」の直感で半年の準備期間だったが進路変更。

練習しない劣等生だった私の思いを当時音大生だった先生は受け入れて下さり猛練習に励む。

 

【練習一筋の中高時代】

入学してからは全部一からやり直し。

初めてのレッスンでハノンは最初からやり直しね、と言われ悔しい思いも。

朝は学校で練習してから授業。

中1の実技試験で上位を確保する。

嬉しさでより一層練習。高校3年の時は 成績優秀者が出る演奏会に出演。

 

【間に合わなかった外部受験】

高校3年の時に、外部受験を目指した。

ただ夏期講習で言われた言葉は

「この曲のレベルで受験は無理」

子どもの頃の進度の遅れはそう簡単に縮まらなかった。

 

【まさかの大事故 大学時代】

受験を諦め内部進学をする。

大学2年の夏 友人と行った北海道で大事故に遭う。

ぶつかった記憶はなく名前と住所を聞かれ答えた記憶のみ。

気がついた時はベッドの上。

目の前には両親。
テレビの様なシチュエーションを経験。
2人とも、私の事は一切責めず ただ目を覚ました私を喜んでくれた。

 

父は仕事の為家に帰ったが、母は病院の近くのアパートを借り、そこから退院までの数ヶ月そこから通ってくれた。

本当にありがたい、感謝。

担当の先生には

「宝くじで当たる確率くらいの割合で助かったよ!あと数ミリ頭の傷がズレていたら危なかった、退院したら宝くじ買ってごらん!」と言われたほど。

 

術後、初めてお手洗いの鏡で見た自分は衝撃だった。

ロングヘアだった髪は全て剃髪され傷痕を覆う包帯。

でも不思議とありのままを受け入れていた記憶が残っている。

手、足、顔が無事だったのは

「舞台の上に立てるように」

「ピアノが弾けるように」とのメッセージのように感じ、留年危機を乗り越え卒業する。

 

【楽器店で指導に携わる】

事故前は卒業後は留学したいと考えていた。

そんな矢先の交通事故。

楽しみにしていた学生時代のウィーン研修も万全の状態で臨めず、体調の事もあり留学は断念し、楽器店や幼稚園で指導に携わることに

 

【おしっこが出ない?結婚・出産】

結婚後福島に3年間暮らす。

出産では、出産後すぐ、赤ちゃんに幽門狭窄症の恐れがあると分かり、夜中に救急病院へ搬送される。

まだ抱っこも母乳もまともにあげていない状態での別れ。

後に、普通の子のペースで尿が出なかっただけで後に退院。

今は笑い話になっている

 

【スタインウェイがやってくる】

娘の入園とともに東京都調布市へ

娘のお友達から習いたいと声をかけられピアノ教室を開く

憧れのスタインウェイのお店に出かけたところ

「あっ この子!」とご縁を感じる出会いがありピアノを買い替える

 

子育てを経験した事で

子ども目線での指導ができるようになり、今年ピアノ教室は12年目を迎えました。

相棒のスタインウェイと一緒に生徒さんと一緒に素敵な音楽を紡げたらと思います。

 

♪指導歴22年

♪中学・高校教師免許取得

♪リトミック研究センター資格取得

 

調布市 田中りかピアノ・リトミック教室

田中りか